年が明けてから少し激動の時間を過ごしておりまして、すっかりブログがおざなりになっていました。
ワクチン接種やオリンピックの開催方法がもうひどいとしか言えないレベルですね。宝島社の広告が少し話題となりました。
目次
第二次世界大戦での敗戦理由
第二次世界大戦の敗戦をもとに日本の失敗を分析した本っていくつかあるのですが、有名な「失敗の本質」と「日本はなぜ敗れるのか」から引用。なぜ日本は第二次世界大戦で負けたのか。
- 曖昧な戦略目的。行き当たりばったりに戦闘したり、目的が二重性を持つ(2つの戦略目的を持つ)ことになってしまったりと曖昧な目的だったため、統一性のない戦闘がおこなわれる
- 戦略オプションの狭さと進化のなさ。謎の楽観主義の蔓延、「白兵銃剣主義」「艦隊決戦主義」の過信、新たな武器や兵器・戦闘機の発達の遅れ、トライアンドエラーの欠如
- 精神主義・人情論を重視して意思決定をするため一貫性がない。「やればできる」
- 人的ネットワーク偏重の組織構造。アメリカではジョブローテーションをさせながら選抜することで緊張感とハイパフォーマーを養成した一方、日本では官僚制でありながら下克上や感情論が横行するのを許してしまう
- 属人的な組織の統合。陸海空軍が仮想敵国や目標・目的がバラバラ
- 学習の軽視。過去の成功体験から敵の戦力を過小評価し、その後失敗しても「過去に成功したのだから、運が悪かっただけだ」のように思ってしまう
- 現場を理解しない将が率いて、現場からの情報収集をしない
- 異端・偶然の排除。すべて人を同じ方向へ向かせ、異なるものは刑罰を与えたり排除することで、異端を排除や偶然を排除する。その結果組織の方向性の修正だけでなく、新しい考えも生まれず、組織のイノベーションが起きない
- 「日本の組織には意図がなく、相手に触発されてヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしていて、意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずはない」
- 精兵主義の軍隊に精兵がいない。その作戦に要求されることはすべて精兵でないと出来ない仕事ばかり
- 指導者に生物学的常識がなかったこと
なんかどれもこれも、今回のコロナ及びオリンピックへの対応への失敗の原因を指摘されているようで、この国は政治のシステムとして何も活かせなかったのか、あるいは結局同じところに戻ってきてしまうのは日本人の国民性が問題なのか。
青天を衝け
いま大河では渋沢栄一の話である「青天を衝け」がやっています。ぼちぼち録画が溜まってきたので消化していってるのですが、このコロナ禍の政治の失政を見透かしてNHKはこのドラマをやっているのでしょうか。
「このままではこの国は終わる・・・」(高島秋帆)
「お前もまさに『悲憤慷慨』だな。『慷慨』とは正義の気持ちを持ち世の不正に憤り、嘆くことを言うんだ」(栄一のいとこ)
「承服できん」(栄一)
NHKもなんか図ったようなタイミングでこのドラマを放映していていろんなことを想像してしまいますが、政治不信や国の制度疲労が限界に来ているタイミングというものは国民として感じる感情は同じなのかもしれません。
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全然話が変わりますが4月に大きな組織改変をして、一時的にサポート本部を見ています。
サポート本部はMCFの最大組織で、半数以上がパートスタッフで構成されています。主要な現場タスクは主にパートスタッフが担当しており、社員は仕事の仕組みを作ったり新しいプロジェクト推進や管理業務が主業務となります。
今回の組織改編では1チーム5人〜7人ぐらいにチーム分けしてそれぞれ社員のチームリーダーと、パートスタッフのリーダー格と他メンバー、というような編成にしました。
社員は若いスタッフも多いので、若い社員のチームにベテランパートスタッフがズラリ、ということも結構あります。チームとして成果を上げていくためには社員一人がいくら頑張っても仕方なくってパートスタッフが主体的に動いてくれるチーム運営をしていかないといけません。
今回、それぞれの新しいチームのキックオフに参加して各チームリーダーの話を聞く中で、チーム運営を上手に行うための普遍的なコツみたいなものがあるな、と思ってメンバーに少し指導させてもらいました。特にパートスタッフやアルバイトなど立場が違うスタッフにも主体的にチームに関わってもらうのはちょっとだけハードルが高いです。
このあたり明確に言語化したこと無いな、と思ったので今回少し書いてみたいと思います。
メンバーに主体的にチームに関わってもらうために
戦略や戦術ではなく目的・目標を統一する
新しいチームリーダーは結構気負って「これからこういう事やっていきたいと思います!」って発表しがちなんですが、これだと結構メンバーは受け身になりがちなんですよね。それよりもまずリーダーがやることは「このチームは何を目標にする組織なのか」を伝えることなんです。目的や目標が全員の意識としてブレなければ戦略や戦術はその方法論なので、いろんなやり方は議論があっていいと思うんです。
現場のことは教えてもらう姿勢
どんな組織であれ、リーダーよりも現場スタッフの方が現場のことはよくわかってます。目標を達成するためにどんな方法があるか、その場合の現場の課題は何か、ということは現場にヒントがたくさん転がっているので「こうしましょう」というよりも「こういうことしたいんだけど、どんな課題があると思うか」を現場スタッフに教えを請う姿勢があると、現場は協力しやすくなります。
改善の主体と決定権は現場に移譲する
どんな仕事でも、最初に考えたことよりもやってみた気づきや失敗、発見のほうが大事です。それを日々改善していくことで初めてだんだん使い物になる仕組みができあがっていきます。そのためには「現場が勝手に改善して良い(上にお伺いをたてなくて良い)」という権限を現場に与えたほうが圧倒的に改善のスピードは上がります。 ただ、物事には必ずトレードオフの関係で気をつけるべきことがあるので、その点は改善する上でも意識しておいてもらうように予め伝えておくことは大切です。具体的に言うと、効率性を上げることだけを目指して改善しちゃうと顧客満足度が置き去りになる、みたいなことです。顧客満足度を維持しつつ効率化する方法はないか、という方向で考えてもらいます。
信じて任せる
人ってやっぱりそれぞれ違うので本当にわかってるのかな、とか疑心暗鬼になりがちですが、人間やっぱり任されてると思えば意気に感じてくれるもので、そうやってチームに貢献しようと考えてくれる人が過半数を占める組織はあまりおかしなやつが紛れないと思うんですよね。良いチームはそれぞれが背中を預けあえる風土があると思うし、そういう風土をどんな小さなチームでも作るのはリーダーの大切な役割だと思います。
リーダーを育成しにくい土壌
結局5人ぐらいのチームを率いるのも、国を率いるのもやることはあんまり違わないのかもしれないです。ただし人数が多くなると指数関数的に難易度が上がるんだと思います。私も大きな組織見たこと無いからしらんけど。
日本ではなんでかリーダーにはカリスマ性みたいな、天賦の才が無いと出来ない、みたいな意識があったりしますが(私なんてリーダーなんてとても出来ない、的な発言よく聞く)、たぶんリーダーも経験とスキルが重要な職業の一種なんだと思います。小さな組織からリーダーをやってみて色々と失敗しながら経験を積んでちょっとずつ大きな組織も見れるようになっていくんじゃないかな。みんなリーダーに完璧を求め過ぎですよ。いろいろと凸凹あるけど前に推進していこうぜ、という気概と適切にメンバーの力を借りれることがリーダーの本質なんじゃないかな。
そういったスキルは、単純に年功序列とか叩き上げとか、権力構造(人事権)がある中でのリーダー経験ではあまり得られなくて、それよりも部下の方が年上とか現場の方が知識も経験もある、みたいな中でリーダーをやることでしか得られない経験やスキルなんじゃないかなと思います。だって権力を持っている中でのリーダーなんてただの暴君でも出来るし。
そういう意味では、日本は本当の意味でリーダーを育てる環境みたいなものが根本的に足りていないことが本質的な問題であり、今回のコロナ禍での失政にもつながってるんじゃないかなと感じた次第です。
普段、政治的な話は出来る限りしないようにしているのですが、ちょっとあまりにもひどいコロナ対策と医療も含めた制度疲労にうんざりしてしまっています。
今回はこんなところで。